ダライ・ラマ十四世法王のことばを思い返してみました。

こんにちは。花祭窯おかみ&アートエデュケーターふじゆりです。

これまでに、ダライ・ラマの生の声を聴く機会に二度も恵まれたのは、わたしにとって宝物的な体験でした。ダライ・ラマ十四世日本公式サイトによると『ダライ・ラマとはモンゴルの称号で「大海」を意味し、歴代の転生者は、仏陀の持つ慈悲の心の象徴である観音菩薩の化身と信じられている』とされ、チベット仏教・チベット民族の精神的指導者です。平和・非暴力・異宗教の相互理解・普遍的な責任と思いやりを、亡命先のインドから発信し続けています。

実を言えば、わたしは禅の教えや仏教美術に興味はありますが、宗教的なこだわりや専心はありません。ですので、初めてダライ・ラマの法話を聴きに行ったときも、説法を求めてというよりは、単純に好奇心ゆえというのが正直なところでした。ですが、その場で拝見した、朗らかで茶目っ気ある姿と、慈愛に満ちた言葉を聴衆に届けようとする声の温かさに、すっかりファンになりました。

二度のお話、一度目のときは「自我と無我」、二度目のときは「空(くう)」がテーマでした。そこから伝わってきたのは、「自我というのは思い込みである」「すべてのものには実体性が無い」「実体があると勘違いするから執着が生まれる」「実体のないものに執着するのは、無意味なこと」「その執着を手放すことが、心の平穏につながる」というようなこと。

自らを省みれば、執着こそが、生きるエネルギーにつながっているような実感もあります。ただ、辛く困難な場面に置かれたときには「すべては空(くう)である」と思い出すことで、心を救うことができるかも…とも思います。これが正しい理解かどうかは少々自信がありませんが、自分のそばに置いておきたい言葉です。

ダライ・ラマ十四世は、二〇二五年七月現在御年九〇歳。いつまでもお元気でいて欲しいものです。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

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