その40「この人のような生き方・価値観の貫き方をしたい」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。
今月8月は、私事ながら誕生月です。50を超えて数年経ちますが、やっぱり誕生日はなんとなく嬉しくて、素直に喜べることがありがたい今日この頃。半世紀を過ぎてなお「一人前」には程遠く、年だけ重ねてもカッコイイ大人になれるものではないと気づかされるたびに、ちょっぴり焦ったりもいたしますが。

ところで皆さんには「この人のようになりたい!」という、目標というか、お手本とする方がいらっしゃいますか?20代、社会人(会社員)になってすぐの頃、先輩や上司によく言われたのが「いい仕事ができるようになりたければ、目指すべきお手本を見つけて、その人の真似からはじめるのが近道」ということでした。30代、独立して事業者となったときも「お手本となる経営者を見つけて、その人のやり方・考え方を倣いながら自分なりの方法を探っていくことが、成功への道筋」というような話をよく聞きました。

ラッキーなことに、社会人になってから今まで、わたしの周りには常に「すごいなぁ~!」と心から尊敬する知人友人が何人もいて、その生きざまを身近に見ることが出来ています。ところが「すごい!」と思うことと「自分もこんなふうに生きたい!」と思うこととは別なのですね。どんなに素敵に見えても、じゃあ自分もまるっきりそのようになりたいかというと、違う。「こんなふうになりたい」は、「部分」であることが多いのです。その「部分」がたくさんあると「その人のようになりたい」となるのかもしれませんが、理想モデルを探していた若い頃には、わたしはそのような人を見つけることが出来ませんでした。

「こうなりたい」の根っこには、自分独自の価値観や世界観があるので、生きてきた経験が積み重なるほどに、「他の誰でもない、わたしの理想」が強くなるようにも思います。ところが「やっぱり我が道を行くしかないってことね!」と確信しつつあった数年前、「この人のような生き方・価値観の貫き方をしたい」と思える人が現れました。実はその方とは20年ほど前からの旧知でしたので、突然目の前に現れたのではなく、わたし自身がようやく気づいたのだとも言えます。

この年齢になって「あんなふうにカッコイイ大人になりたい!」と思えるモデルを得たことは、思いがけず面白い発見となりました。わたしの20年以上先を歩いているその方は、カッコイイ経営者であり、カッコイイパートナー(家庭人)であり、なにより飄々と自分の「好き」を貫くカッコイイ「一個人」。20年後、あのように自然体で毎日を楽しみ、機嫌よく品良い大人になれるよう、わたしも精進いたします。

<日常の禅語>廓然無聖(かくねんむしょう)
「仏教の聖なる教えの神髄とはどんなものか?」という問いに対する、達磨大師の答えが「廓然無聖(かくねんむしょう)」。「がらんとしていて、聖なるものなどなにも無い」ということだそうです。問いかけた方は、この答えを聞いてさぞ拍子抜けしたことでしょうね。

「廓」は城廓(じょうかく)の廓。外枠、囲いなどの意味があります。囲いの中に、価値あるものがあると信じて守っているけれど、実は中は空っぽなのだよ、と言われたら、あなたはどう思いますか?あるいは、大切なものが入っていると思い込んで守っていた箱を、勇気を出して開けて、なにも入っていなかったら。

わたしはこの禅語を聞いて、ロシアのマトリョーシカ人形を連想しました。開けても開けても、出てくるのはひと回り小さなマトリョーシカ。子どもの頃、そうとは知らずに初めて手にした時、中に何か特別なものが入っているのだろうとワクワクしながら開けていき、最後は茫然となった(笑)ことを思い出しました。

でもそれは、わたしの期待が大きすぎていた(あるいは間違っていた)からこその失望。もとから中身は空っぽなのだとわかっていれば、がっかりすることも無いのです。なにごとも「そもそも空っぽ」だと気づけば、無用に気負うこともなく、もっと自由にありのままを受け入れることが出来るのかもしれません。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

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