その39「手掛かりを得るために本を読む」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。
このコラムを書いている現在は、5 月の連休が明けたところです。皆さまのところに届く 7 月には、世界情勢はどのように変わっているでしょうか。

この数カ月、新聞やインターネットの報道に対する違和感があり、自分の頭で考えるための地力が足りないと思いました。これを少しでも補うためには、近現代史をもっと知らなければ、と。

分野に関わらず、問題が大きすぎて手に負えないと感じるときは、まず「手掛かりを得るために本を読む」からはじめます。もちろん本を読んだからといって、一朝一夕にどうにかなるものではありませんが。そうして読んだ本のなかから、わたしにとって「世界情勢を見るための、別の視座」となった 2 冊をご紹介します。

『グッバイ、レニングラード』(文藝春秋)小林文乃著
2018 年刊行。著者が 10 歳の時に訪問した崩壊直前のソ連と、その 25 年後のロシア再訪のストーリーです。日本ではほとんど語られることのない第二次世界大戦のレニングラード包囲戦と、ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第七番』完成までの足跡を追いながら、そこに著者自身の家族のお話が重なります。ロシアという国とそこに住む人々のことを、自分はまったく知らないということを突き付けられました。

『オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋)オリバー・ストーン著/土方奈美訳
社会派映画監督オリバー・ストーン。ベトナム帰還兵で『プラトーン』をはじめとした反戦作品があります。本書は 2015~2017 年に行われた、プーチン大統領へのインタビューを書き起こしたもの。

米国内でドキュメンタリーとして放映された本内容は、米国主要メディアから酷評・バッシングされたそうです。現在起こっていることを理解するために、本を通して時代を遡ったり、別の立ち位置を借りたりするのは、自らの視野を広げる助けになると感じています。

また史実を知りたいと思ったときに、学術的な書籍ではないからこそ書けることがあるという確信も。ルポルタージュ、エッセイ、小説など、取材者・執筆者の主観が大前提であったり、フィクションだからこそ書ける事実もある。そうした文章のなかから、いかに真意や文脈を読み取るかを問われているような気がします。

ロシアから見た世界、の視点を持つ 2 冊をご紹介しました。だからといって、現在の軍事的な出来事を肯定するものでは一切ありません。オリバー・ストーン監督は「私は反アメリカでも、親ロシアでもなく、親・平和だ。(中略)世界の先行きに不安を感じるのは、母国(アメリカ)の平和への姿勢に不安を感じるからだ。」と本書に書いています。すべての国・人が「親・平和」を謳える世になることを願いつつ。

<日常の禅語>隻手音声(せきしゅおんじょう)
隻手(せきしゅ)とは片手のこと。「片手の音とは、どんな音でしょうか?」と問う禅語です。臨済宗の白隠禅師による、お釈迦様の教えを伝える問答のひとつ。ところがいくつか本を読んでみると、「音がする」と「音はしない」どちらの説もあるようなのです。

「音がする」派の主張のひとつは、すべては思い込みであり思い込みを捨てよ、というもの。音を聴くのは耳だと決めつけるから聞こえないとなる。音を聞くのは耳だけではないと思えば、片手の音も聞こえるはず、という観念的なものです。そして「聞こえる」としたうえで、どんな音かを問答してゆくなかで、さまざまな思い込みに支配されている自分に気づき、それを捨てていく過程が修行だと。

一方「音はしない」派の主張は、両手(双手)を打てば音がするけれど、片手では音がしない、という物理的に自然なもの。そのうえで、あらゆるものごとの道理が同じことで、双方がぶつかるから音(現象・問題)が生じるのであり、ひとつひとつには実体が無いと「無」を説いています。

ざっくりとした解釈を記しましたが、どちらも禅語っぽい感じがしますね。残念ながらお釈迦様ご本人に確認することは出来ませんし、どちらが正しいかを議論することは不毛でしょう。ちなみにわたしは、現時点では「音はしない」派です(笑)


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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