その25「誇りと愛情」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

このところ立て続けに「どう生きるか」を考えさせられる映画や本との出会いがありました。ジュディ・ガーランドの伝記的映画『ジュディ虹の彼方に』、西洋史の歴史小説に定評のある藤本ひとみさんの書いた小説『マリリン・モンローという女』(角川書店)、『シャネル CHANEL』(講談社)と続いています。

ジュディ・ガーランドは、映画『オズの魔法使い』(1939年)の主人公ドロシー役で、一躍大スターになりました。映画を見ていなくても、劇中歌の「オーバーザレインボー(虹の彼方に)」を聞いたことがある人は多いと思います。晩年のジュディが再起をかけてステージに立つ姿を描いた『ジュディ虹の彼方に』では、過酷な少女時代の回想シーンと、失った栄光と愛情を取り戻そうとする今のジュディ、どちらもぎゅっと抱きしめてあげたくなるような切なさでした。

マリリン・モンローの生涯は、アイコン的なエピソードを通して断片的に知っている人も多いかもしれませんね。わたしもそうでした。小説『マリリン・モンローという女』ではスターの光と影というよりは「影」ばかりが強く、読んでいて苦しくなりました。貧困、愛情への渇望、薬物、今なら「#MeToo」と声を上げるべき業界事情…。ジュディ・ガーランドの物語と重なるものを感じて調べたところ、二人はほぼ同じ時代に生きていました。

一方、小説『シャネル CHANEL』のココ・シャネルは、貧困や愛情への渇望を「怒り」のエネルギーにして、這い上がっていきます。書中に「この世に自分の居場所を創り出すために仕事を頑張るしかない」という一文があり、それを実際に成し遂げた人の勇気と強さが伝わってきます。ココ・シャネルは亡くなっても、ブランド「CHANEL」が現在を生き続けているという事実が、とても大きく感じられました。

ジュディ・ガーランド(1922-1969年)、マリリン・モンロー(1926-1962年)、ココ・シャネル(1883-1971年)。ほぼ同じ時代、女性が社会に出ること、仕事で成功を収めることが今よりずっと難しかった時代に、スターの座を射止めた彼女たち。それは三人ともが「自分の存在価値」「愛」「居場所」を求めて苦しみもがいて生きた結果でした。

小説内のシャネルのセリフに「自分の体と心、そこから生まれる誇りと愛情。それだけは最後まで残る。(誰にも奪われない)」というものがありました。「誇りと愛情」は自分そのものだということを、自身に照らして考える今日この頃です。

<日常の禅語>晴耕雨読(せいこううどく)

晴れた日には田畑を耕し作物を育て、雨の日には本を読み知を育む。
お天気に逆らわず、そのときできることを尊重するのが、本来自然な生き方なのでしょう。
心もそうかもしれません。心が晴れ晴れとしているときには、活発に積極的に動くことができる。でも心に雨が降っているときには、無理に鼓舞せず静かに過ごす時間も大切にしたい。

「晴耕雨読」は禅語ですが、この言葉を聞くといつも、わたしの頭には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が浮かびます。「負けず」と言いつつ抗う感じはせず、かといって諦めているのとも違う、「受け入れる強さ」がそこにはあります。「そういうものに わたしはなりたい」というのですから、賢治もまた理想に向かう途上、葛藤のなかに生きていたのでしょうね。

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