その24「ウォーキング」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

思い立ってウォーキングをはじめてもうすぐ半年になります。あいにく毎日とは参りませんが、週2-3回くらいのペースで続いています。わたしが住んでいる津屋崎は海辺の町ですが、近くに小さな山もあり、その日のお天気・時間帯・体調・気分で「山コース」と「海コース」を使い分けています。どちらも「家を出発 → ウォーキング → 帰宅」で1時間弱のコース。じんわりと汗をかくぐらいの運動量です。

山を歩いていると、自然と視線が上や遠くに向きます。足を進めながら、野鳥や木の実や草花を眺めることができて、視界も広がります。また山のてっぺんを過ぎて下りに入ると前方遠くに海が見えてくるので、これまた視線が遠くに向かいます。それに対して、海を歩いていると、ついつい視線が足元に向かうのです。浜辺に打ち上がっている貝殻やら陶片やらが気になるのですね。ビーチコーミングは好きですが、今は歩くのが目的!と自らに言い聞かせないと、せっかく海の景色は開けているのに、近くばかり見ることに。ともあれ、まったく景色の異なる二つのコースが身近にあるというのは、とても贅沢でありがたく。

昨年からの外出機会減少に伴う運動不足解消と筋力維持が、ウォーキングをはじめた理由でした。実際に歩き始めて、それ以外にもいろいろな効用があることを感じています。まず一番嬉しいのが、肩こりと目の疲れの解消。なのでパソコン仕事を終わらせてから歩くことにしています。それから、最初は息切れしそうだった山の上り道もすんなり歩けるようになってきたことを考えると、心肺機能も多少アップしてきているようです。そして、歩き終わったときには、頭にかかっていたモヤがすっきりと晴れて、目がぱっちりと開くような感じがするのも快適です。

実感している効用が大きいので、おそらくこれからも三日坊主にはならず続けていけるのではないかと、自分に期待しています。まあ、もし三日坊主になってしまったとしても、再スタートすればよいだけのこと。「○○のために歩く」からスタートしましたが、「楽しいから歩く」「歩きたいから歩く」に変わりつつある今日この頃です。

<日常の禅語>一期一会(いちごいちえ)

千利休が茶会(茶席)の心得として述べた言葉としてご存じの方も多いと思います。いつもの茶会のようでも、露地(茶室の庭)入りから席を立つ(お終い)まで、客も亭主も「一生に一度の出会い」だと思って向き合うべき、と。千利休が生きた時代は戦国の世のなかでしたから、実際に「次の機会は無い」状況でお茶を立てる(あるいは、いただく)ことも少なくなかったかもしれません。

禅語としては「すべては一度きりで二度と同じ瞬間は無いのだから、その一瞬一瞬を大切に」との意味になります。人との出会いに限らず、あらゆる事象はその瞬間の現象の組み合わせなのですね。先が見通し難いときこそ「なにごとも『今一瞬』の積み重ね」と、今に意識を集中することで、地に足がついて心が穏やかになるのを感じます。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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