その48「自分だけの時間」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

5月。年度末~年度初めのバタバタもそろそろひと段落する頃ですね。最近「自分だけの時間」確保できていますか?

先日、お友だちとのおしゃべりで「自分にとって一番贅沢な時間ってどんな時間だろう?」という話になりました。お友だちは、従業員さんを抱えた株式会社の社長さんであり、家に帰ればお子さんやお孫さんにケーキを焼いてあげたりなさる家庭人であり。

いつも人に囲まれて活動的な彼女が、「実は、出張先のビジネスホテルで一人でボーっとする時間が大好きなの」とおっしゃいました。出張先で会食の予定が無ければ、外食はせずにお惣菜やお弁当を買い込んでホテルの部屋でゆっくり「一人呑み」する時間が、最近の一番の贅沢かも、と。

 たしかに出張時の飲食店での外食は、一見手軽で楽しみでもあったりしますが、実は周囲(同じ空間にいる方々)への気配りが必要ですし、無意識にビジネスモードになりがちです。それに比べて、ホテルの部屋での一人呑みは気楽でリラックスできるという彼女の話は、なるほど理解できるものでした。眠くなったらすぐに眠れるし、というのも、家事の必要のない出張先だからこそ。ふだんは社交的な彼女の、今一番贅沢だと思える時間が「ホテルの部屋での一人呑み」というのは、意外ながらも理解できるものでした。

 何をするというのではなく、ただ「自分だけの時間」を作るのは、気忙しく情報過多な昨今において、難しいことかもしれません。隙間時間が出来たら、そこを「するべき何か」で埋めるのではなく、ボーっと自分だけの時間にしてみる。何かを進めるばかりではなく、立ち止まる時間を確保する。余白(スペース)を作ることで、整っていくこともあるように思います。

 それでも「何もしない」ことに罪悪感を感じてしまう方もいらっしゃいますよね。そんな方におススメの「自分だけの時間」確保法は、映画館です。一人で映画館に行って、スクリーンに向かい合う。スクリーンの向こうは虚構の世界ですから(ドキュメンタリーもありますが)、自分事にせず、遠くから眺めることができます。映画館特有の暗さと音響による没入感がまた良いのです。

わたしは昨年から「映画館で毎月1本観る」をはじめたのですが、これがとても精神衛生的にGOOD。テーマが重すぎないもの、ストーリーや制作背景が説教臭くないもの、ビジュアル的に美しいものを選び、月に一度のリセットタイムを楽しんでいます。


<日常の禅語>冷暖自知(れいだんじち)

四字熟語としても知られるポピュラーな禅語のひとつと言われます。「冷暖自ら知るが如し」とも読まれます。

最初に読んだ解説では、「その水が冷たいか暖かいか、自分で触ってみないとわからない」とありました。次に読んだものでは「その水が冷たいか暖かいか、自分で飲んでみないとわからない」となっていました。つまるところ、飲むにしても触るにしても、はたまた悟りを開こうとするにしても、「それを自分で体験してみないと、話を聴くばかりでは、ほんとうのところはわからない」というようなこと。転じて「他者の言うことを鵜呑みにせず、自ら行動せよ」との教えといわれています。

 たしかに、その水の温度が冷たいか暖かいかは、触ってみないとわかりません。また温度計で測ることは出来ても、それが自分の感覚として冷たいか暖かいかとは、また別であることも多々あります。例えばお風呂の温度が熱いと感じるかそれほどでもないかは、個人差があります。温泉地で地元の人に「そんなに熱くないよ」と言われて安心して入ったら、かなり熱くてびっくりした、なんて経験、ありませんか?

 このように考えると、「それを自分で体験してみないと、話を聴くばかりでは、ほんとうのところはわからない」の「ほんとうのところ」自体が、人によって異なるということにもなります。体験によって分かろうとすることは大切ですが、同じ体験をしてもそれをどのように受け取るか(=その人にとっての「ほんとう」)は、また別となる可能性があるということですね。つまり、自ら行動して体験しないとわからない、けれども、その体験から得たものですべてを語れるわけではない、とでもいうところでしょうか。だんだんややこしくなってきましたが、たぶん、そんな解釈でよいのだと、現時点では考えています。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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