その31「リモート(オンライン)授業」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

少し前のことになりますが、息子の通う高校ではこの2学期から「リモート(オンライン)授業」の併用がはじまりました。タブレット端末の配布などは無く、受信環境は自分で整えなければならないのが、義務教育との違いでしょうか。ほとんどの生徒はスマートフォン利用でしたが、「スマホの小さい画面は見難い」ということで我が家ではパソコンを使うことに。ふだんスマホ操作に慣れていても、パソコンではやや勝手が異なりますので、使い方をレクチャーしながらのスタートとなりました。

子どもが小学生だったころは、保護者が学校に出向く機会も比較的頻繁にあり、その都度学校やクラスの様子を知ることができました。でも中学高校と進むにつれて、保護者が学校に足を運ぶ理由は減るものですね。昨年からのコロナ禍で、その数少ない機会がさらに失われてきているところに、リモート授業。こういうとき、家で仕事をしていると便利です。今どきの高校生活を垣間見る、絶好の機会となりました。

まずはリモート授業で使うアプリケーションの設定から。学校から持ち帰った簡単な説明書きに従い、アカウントを入れて進んで行くと、あっという間に設定完了。スムーズで感心しました。リモート授業の敷居を下げるための、各方面の努力がうかがえます。実際に授業が始まると、基本的に生徒側のカメラと音声はオフということで、気軽な雰囲気。画面の向こうから「キンコーン」と懐かしい学校の始業の音が聞こえ、思わず笑顔に。

生徒たちはと言えば、授業とLINEの画面を行ったり来たり。でも「授業中にLINE=不真面目」とも言い切れません。先生方にとっても初のリモート授業とあって試行錯誤の続くなか、ちょっとした疑問は、LINE上で生徒たち同士でその場で解決しながら授業を受けていました。オープンには質問しにくいこともLINEでなら気軽に聞くことができます。結果として「使い方がよくわからないから授業に参加できない」事態を防ぐ、いわばセーフティネットが出来ていました。今どきの高校生の柔軟性と、自然発生的な優しい仕組みに感心しました。

コロナ禍で、スタートこそ「苦し紛れのリモート授業」でしたが、この体験を通して得たものがたくさんありそうです。

<日常の禅語>一掃除 二信心(いちそうじ にしんじん)

信心よりも前に来るもの=掃除が一番大切!ということですね。禅における掃除には、その作務を通して、自分自身についた塵や埃をはらい磨き上げる意味もあるそうです。なので、いくら掃除しても掃除しすぎることは無く、これでお終いということもありません。目に見えるゴミがあるから、汚れているから掃除する、ということではないのですね。

それにしても禅語には「一」がよく出てきます。つい「一」には特別な意味があるのではないかしら?という気がしてまいりますが、お釈迦様の教えは「一にとらわれないことが大切」とおっしゃいます。次回はその「一」について考えてみたいと思います。と言っている時点で、「一」に囚われてしまっているわたしがいますね(笑)


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
ふじゆりスタイル

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